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組踊上演300周年記念事業-特別企画-

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後編:『組踊にまつわる裏話~玉城朝薫ってどんな人!?』賀数仁然


コラムでは、組踊をはじめとする芸能や琉球史に詳しい方々に寄稿をお寄せいただきます。

第二弾コラム「組踊にまつわる裏話~玉城朝薫ってどんな人!?」と題し、琉球史に詳しい賀数仁然さんに、沖縄の史跡を辿りながら組踊の創設者である玉城朝薫についてご紹介いただきました。
後編では、ついに組踊が誕生します!

 

9 組踊誕生

1718年、翌年の冊封に備え、二度目の躍奉行に就任。そして1719年、重陽の宴、ついに組踊が世に問われた。冊封使(さっぽうし)である徐葆光(じょほうこう)らに披露され、賞賛をうける。ここにスーパースター玉城朝薫が誕生した。国立劇場おきなわでは、首里城御庭での組踊上演ジオラマが設置されていて、自由に見学ができる。徐葆光は『中山伝信録(ちゅうざんでんしんろく)』において「戯」と記していて、組踊という名は見えない。「戯」の上演は「重陽の宴」であったが、重陽の節句九月九日(旧暦)ではなく、十月二十日(旧暦)になっている。もしかすると万全を期するために延期したのかもしれない。国の威信をかけた初の芸能を披露することに、朝薫らはただならぬプレッシャーに襲われていただろう。『中山伝信録』は公式の報告書であるため、徐葆光らの感想は書かれていないが、その後の冊封儀礼では欠かせない芸能となるため、彼らから高評価されたのは間違いないだろう。

琉球古典芸能「御冠船踊」上演舞台模型一式 (国立劇場おきなわ) 撮影:賀数仁然

 

徐葆光が書いた「中山第一」 撮影:賀数仁然

 

徐葆光が書いた「中山第一」撮影:賀数仁然

 

10 出世街道へ三司官目前

その後官吏として、破竹の勢いで出世街道をひた走る玉城朝薫。港に飯店(ホテルのようなもの)を開設し大繁盛。さらに領地玉城が不作に苦しむと、備蓄米をあてがい救済。これらをもって国王より褒美をもらう。薩摩への旅役もこなす。マジ、できる男。1725年、41歳で御物奉行(おものぶぎょう)に昇りつめた。この役職は王府要職であり、琉球の大臣、三司官への道筋が見えてきたことを意味する!ついに、なっちゃう?…ところが… 

  冊封使帰国後、躍奉行を解かれ同年12月高奉行(税務署長)に。現在の県立芸術大学 撮影: 賀数仁然

 

11 衝撃!離縁

三司官が見えてきたころ、朝薫は20年連れ添った真加戸と離縁している(1725年)。理由は不明だが、与那原の側室との間に女の子が生まれており、これが火種となったのかもしれない。離縁後はこの女性と正式に結婚したようだ。1728年(朝薫44歳)、官吏としては最高位にあたる親方へと出世し、旅役として薩摩に。翌年も旅役を任ぜられるも帰国後、突如として歴史から消える!そしてわずか5年後にこの世を去る。さらに、死後「ひとり墓」に葬られたという。離縁後の彼は、与那原に身を寄せていたようだ。そして死後も玉城家の墓には戻れない何らかの理由があったようだ。また彼は、一人になってしまった。戦前、石嶺にあったという玉城朝薫の“ひとり墓”の写真が1枚残されている。

 

墓/玉城朝薫墓と山崎正菫博士 ©︎熊本県立図書館所蔵

 

12 発見。朝薫は浦添にいた

「朝薫はひとりで眠っている」そんな話が長い間信じられていたが、向氏辺士名家(朝薫の血筋)の墓が改修工事となり、浦添市による調査が行われた。墓内部から玉城朝薫の骨壺が出てきたのだ!ひとりではなかった。ただし、明治になって現在の浦添市前田の墓に移送されたようだ。そして、琉球の時代は風葬といって、墓内部で肉体が朽ちるのを待ち、3~12年ほどで洗い清め(洗骨という)、骨壺に入れなおす副葬なのだが、骨壺の銘によれば、死後71年に洗骨が行われている。そして94年後に一族の墓に戻されている。玉城朝薫は、間違いなく琉球歴史に名を遺した偉人であるが、その華やかな芸道とは対照的に、幼年期、そして死後も孤独を背負っていたのだった。モノレールが開通する予定の浦添市。朝薫の墓のすぐ近くに経塚駅ができる。ぜひ足を延ばし、手を合わせてもらいたい。

玉城朝薫墓への目印   撮影: 賀数仁然

 

玉城朝薫の墓  撮影: 賀数仁然

 

13 朝薫の思い次世代へ

琉球という国は不思議な国だ。極端に資源が乏しいが、繁栄を極めた時代がある。その評判はヨーロッパにまで届いていた。近隣諸国との外交を重視し、戦略として仲良くすることを選んだ。これを万国津梁(ばんこくしんりょう)の精神とし、今なお語り継がれる。この精神を受け継ぎ、芸能を外交の切り札としていった。その頂点が組踊だ。やがて繁栄した琉球は地球から消えてしまった。そして大きな戦争によってすべてを失った。しかし生き残った人々によって芸能は継承され、ついに組踊は2010年ユネスコ無形文化遺産となり、全世界を代表する芸能の高みに上り詰めた。今回、沖縄の史跡に玉城朝薫という男の人生を重ねて廻ってみた。いかがだっただろう。この素晴らしい芸術は、創設者玉城朝薫、そしてギリギリのところで組踊を守ってくれた人々が千両役者だと思う。先人たちに感謝したい。

(完)



賀数仁然(かかず ひとさ)
昭和44年12月9日 那覇市生まれ。作家・ラジオパーソナリティ 早稲田大学大学院 人間科学研究科修了(生命科学専攻)。新聞歴史コラム、琉球史関連番組(ラジオ・テレビ)企画構成・出演。琉球史ツアー企画、観光ガイド業も手掛ける。世界遺産にまつわる琉球王国の歴史文化とエンターテイメントの融合をテーマに展開中。2014年より近畿日本ツーリスト沖縄社共同開催している組踊1日バスツアーは毎回好評を重ねている。著書「さきがけ歴男塾」は、2016年沖縄本屋大賞3位。Amazon地域歴史散策部門1位獲得。

 

 


 

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