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組踊上演300周年記念事業-特別企画-

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『若手組踊実演家の活動の広がり』伊佐尚記

コラムでは、組踊をはじめとする芸能や琉球史に詳しい方々に寄稿をお寄せいただきます。
今回は、「若手組踊実演家の活動の広がり」と題し、新聞記者として沖縄文化を取材し、沖縄芸能に関する著書もある伊佐尚記さんに、若手組踊実演家たちによる新たなチャレンジをご紹介していただきます。

 

組踊の若手実演家の活躍がいわれて久しい。背景には多くの人が指摘するように、1990年の沖縄県立芸術大学邦楽専攻(現琉球芸能専攻)開設や2004年の国立劇場おきなわ開場、伝統組踊保存会の長年にわたる活動があるだろう。国立劇場おきなわが開場した頃に若手と呼ばれていた実演家は今や中堅と呼ばれるようになり、さらに若い世代が先輩たちの背中を追っている。昨年5月と今年3月に中堅・若手だけで組踊の大作「大川敵討」が上演されたことも、彼らの勢いを強く感じさせる出来事だった。筆者が芸能担当記者時代に取材したことを中心に、中堅・若手世代の活躍について紹介したい。

 

1. 組踊にとどまらない活躍

組踊の所作は琉球舞踊を基盤としており、両者は切っても切り離せない関係にある。さらに若手・中堅の組踊立方・琉球舞踊家の中には沖縄芝居に出演する人もおり、多彩な才能を発揮している。組踊、そして琉球舞踊の古典舞踊は琉球王国時代に国の儀式のために生まれた芸能だ。一方で沖縄芝居や雑踊(ぞうおどり)は明治以降、大衆を相手に披露する芸能として生まれた。明治以降の芝居小屋で役者たちは沖縄芝居だけでなく組踊も演じた。戦後、重鎮の役者たちが相次いで琉舞道場・研究所を開き舞踊家を育成した一方で、新たに誕生した劇団も活躍し、舞踊家・組踊立方と沖縄芝居役者の分化が進んだ。現代の若手・中堅のほとんどは琉舞道場で舞踊を学ぶことから芸能人生をスタートさせた。組踊については芸大や伝統組踊保存会の養成事業、国立劇場おきなわの研修・舞台などを通して学んだ人が多い。さらに同劇場や各劇団の公演を通して沖縄芝居に挑戦する機会にも恵まれた。

組踊と沖縄芝居の両方を演じてきた経験が良い効果をもたらしていると感じた事例の一つが、沖縄芝居の史劇というジャンルだ。名前の通り歴史を基にしたせりふ劇で、上級士族同士の言葉や国王への尊敬語といった独特の言葉を用いる。近年、国立劇場おきなわは「首里城明け渡し」「大新城忠勇伝」「護佐丸と阿麻和利」といった史劇の大作を上演している。八木政男、平良進、仲嶺眞永といった沖縄芝居の重鎮を指導者に迎え、玉城盛義(玉城流三代目家元)、神谷武史、東江裕吉、宇座仁一といった組踊立方が主役級に起用された。組踊で培ったせりふの発音、抑揚などに関する感覚が、難しいといわれる史劇のせりふ術に挑戦する際にも生かされた。組踊の按司(あじ)役などで身に付けた重厚な演技も生かされていた。

逆に、沖縄芝居のリアルな演技を経験したことで、組踊の抑制された象徴的な演技への理解が深まったという意見も実演家から聞いたことがある。

「護佐丸と阿麻和利」で鬼大城(手前右・玉城盛義)に見届けられながら切腹する阿麻和利(同左・神谷武史)=2018年2月25日、浦添市の国立劇場おきなわ:©︎ 琉球新報提供

 

2. 組踊役者と芝居役者は両立するか

一方、組踊と沖縄芝居の両方に出演している中堅・若手に対して「組踊の演技が芝居に寄っている」という重鎮実演家や識者らの指摘を何度か聞いたことがある。私自身も「組踊の演技にしてはリアル過ぎるのではないか」と感じたことがある。組踊の演技が写実的になり過ぎるという現象は戦前もあったようだ。琉球組踊保存会編『組踊研究』創刊号(1967年)には戦後初の「大川敵討」全編上演(1966年)の出演者による座談会が掲載されている。そこで島袋光裕は、先輩たちが演じていた戦前の組踊は非常に写実的で「私たちはそれをおさえている」と発言している。

だが筆者は、戦前から戦後にかけて活躍した先達たちが琉舞、組踊、沖縄芝居のいずれも極めていたように、現代の中堅・若手の中からもこれら三つの芸能を極める者が出てくることを期待している。その際に大事なことは、組踊と芝居の演技の違いや自身の核となるものをしっかりと意識することではないだろうか。

女形の演技一つをとっても組踊と沖縄芝居では全く異なる。沖縄芝居を映画化した1934年の映画『護佐丸誠忠録』を見ると、女形の演技は組踊の女形と違って非常に女性的だ。戦後の沖縄芝居は女優が台頭し、女形はほとんどいなくなった。組踊で近年、女形のできる立方が増えたこととは対照的だ。若手の沖縄芝居役者・舞踊家の嘉陽田朝裕は2016年に「伊江島ハンドー小」のヒロイン、ハンドー小を演じるなど、しばしば女形に挑戦している。だがベテラン役者の八木政男によると、戦前の女形は裏吟(裏声)を巧みに使い、それに比べると嘉陽田の発声はまだ男性的だという。沖縄芝居の女形の再興にも期待したい。

もちろん、沖縄芝居役者たちの流れとは別に組踊を継承してきた金武良章の芸にも学ぶべきことは多い。金武の地謡をしていた西江喜春に以前取材した際、「金武先生の唱えが若手に受け継がれていない。今のうちに(金武の弟子に)習ってほしい」と指摘していた。

3. 斬新な新作組踊

中堅・若手の実演家の中でも、劇作や演出も多く手掛ける嘉数道彦は類いまれな存在だ。以前、「私は演出家でもプロデューサーでもなく、あくまで実演家」と語っていたのが印象深い。物腰の柔らかい人だが、舞台に対しては表現者として強いこだわりを見せる。私が取材した中で最も印象深い嘉数作品が2016年初演の新作組踊「初桜」だ。現代人の感覚に通じる敵討物を目指した作品で非常に斬新だった。嘉数作品の素晴らしさは音楽や振り付けを担う同世代の立方、音楽家の力も大きい。「初桜」で音楽を担当したのは新垣俊道、振り付けは佐辺良和だ。セットを使わず照明も一定だが、クライマックスでは重層的な「述懐節」によって焼け落ちていく城が目に浮かぶようだった。筆者が聞いた観客の意見もほとんどは称賛だった。ところが横浜能楽堂の中村雅之館長に劇評を依頼したところ、意外にも「削ぎ落としが必要」「せりふで説明し過ぎている」と苦言を呈した。もちろん、それをどう受け止めるかは当事者が決めることだが、芸術の発展には批評が不可欠だ。特に新作組踊のような古典芸能の新作(創作)は様式が確立されていないため、観客、実演家、識者など多様な立場から議論されることが発展につながっていくのではないだろうか。

「初桜」で生き別れた兄とは知らず金松(左・東江裕吉)を迎え撃つ千代松(佐辺良和)=2016年1月23日、浦添市の国立劇場おきなわ: ©︎ 琉球新報提供

 

4. 20代への期待

人気と実力を兼ね備えた実演家は30~40代に多い。近年の活動で特筆されるのが、立方6人による舞踊公演「蓬莱」と歌三線奏者8人による琉球古典音楽公演「歌鎖」だ。「蓬莱」はこれまでほとんどなかった琉球舞踊の素踊りを切り開くという斬新な企画だ。「歌鎖」は、普段は舞踊や組踊の地謡を務めることが多い音楽家たちが、歌三線のみで琉球古典音楽を独唱することに向き合っている。原点回帰であると同時に、琉球古典音楽のファンを広げていく可能性も感じられる。

20代の実演家の中にも注目している人たちがいる。歌三線奏者の仲嶺良盛は「58組踊(ごーぱちくみおどり)」という公演をほぼ月1回のペースで開催している。唱えと歌三線だけで表現する「語り組踊」を1人で上演したり、観客を交えた唱えのワークショップ「カラオケ組踊」を行ったりしている。当初は「観客に見せたいというより組踊を自分の中に取り込むことが一番の目的」だったが、今は語り組踊の芸としての完成度を高めることも目指しているという。さらに新作歌舞伎といった他分野の舞台にも出演し、NHKのテレビ番組「沖縄の歌と踊り」のディレクターも務めている。多彩な活動を古典音楽に生かしたいという。

歌三線奏者の親川遥も毎月、「綾もどろ」という琉球古典音楽の公演を行っている。首里観音堂など古典にふさわしい雰囲気の会場を選び、着物のスタイリストが付いて視覚的な美しさにもこだわっている。毎月、独演会形式の公演を行うことで、かなり力がつくのではないだろうか。芸大大学院の琉球舞踊組踊専修を2017年に修了した若手舞踊家6人でつくる「六花(むつのはな)」の面々の活動も活発だ。グループとしての自主公演だけでなく、個々のメンバーも全国舞踊コンクールで受賞するなど意欲的に活動している。

現在の組踊の活気を持続し、さらに発展させていくためにも、各世代にバランス良く優れた実演家がいることが大切だ。20代の若者たちの中から、先輩たちを追い越すくらい勢いのある実演家が出てくることを期待している。

(敬称略)

「58組踊」で観客と「カラオケ組踊」をする仲嶺良盛(右端)=2018年2月19日、那覇市のおきなわダイアログ :©︎ 琉球新報提供

 


伊佐尚記(いさ なおき)
1985年生まれ、宜野湾市出身。2009年に琉球新報社入社。
政治部、北部報道部を経て13~18年度に文化部で芸能を担当。
現在は社会部。著書に『焦土に咲いた花 戦争と沖縄芸能』。本人は無芸。

 


 

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