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組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Column| 『組踊にまつわる裏話~ヲナリ神たちが愛した琉球芸能』賀数仁然

賀数仁然さんによる人気コラム「組踊にまつわる裏話」。
廃藩置県や大戦など、苦難の歴史を乗り越えてきた組踊をはじめとする琉球芸能。いまにつないできた立役者たちのお話です。

 

1. 奇跡の芸能組踊

組踊誕生から300年。誕生した瞬間を見た人は誰一人いません。というより、当時であっても、一部の人を除いて組踊は披露されることはなく、王国の秘芸ともいえるものでした。ところが現在、僕らは初演の作品を鑑賞することができます。
生まれた時から芸能の島といわれ、身近ではなかったが、アタリマエのように存在した組踊。しかし「これが続いているのは、奇跡なのではないか」と、最近思うようになりました。それは、二度の大きなピンチを乗り越えてきた先人たちの思いに応えた神様がいたのではないかと思うほどの300年だったのです。

 

組踊上演300周年年記念ポスター「執心鐘入 〜 宿の女 〜」「 二童敵討」 ©︎ 組踊上演300周年記念事業実行委員会

 

2. ヲナリ神の芸能

琉球時代から、沖縄では女性が神に近い存在だとされる、「ヲナリ神信仰」というものがあります。姉妹を指す「ヲナリ」は、「エケリ」(兄弟を指す)を守護してくれる存在です。どうやって? ヲナリは、御嶽やオンとよばれるような拝所でエケリに対する神のご加護を祈るのです。やがて、ヲナリたちは“ノロ”と称し、国家運営に組み込まれていきました。農暦とともに、祭りや行事としての祈りを担うようになります。“神アシビ”という言葉が残っていますが、「アシビ(遊び)」をするのは、祭りに現れる琉球の神々であり、来訪神をウトゥイムチ(おもてなし)するために、女性は神歌を謡い、除災招福を舞った。これが琉球芸能の原点ともいわれます。今でも、沖縄の地域で行われる宗教的な民俗芸能(例えばウシデークなど)は、女性達が中心ですね。

沖縄市越来のウシデーク 撮影・提供:遠藤美奈

 

3. 外交の芸能

1372年、中山王察度(ちゅうざんおうさっと)が、巨大国家、明からの招諭を受け、冊封関係を結び、二代武寧(ぶねい)の時代(1404年)に初めて冊封使を招きました。以後、明から清と引き継がれ、尚泰王の冊封、いわゆる“寅の御冠船(1866年)”まで続きました。当時は王の冠を、明国からプレゼントされていたので、冊封の船を「御冠船(うかんしん)」とよび、ウトゥイムチの芸能を「御冠船芸能(うかんしんげいのう)」とよんでいました。一番古い冊封使録『使琉球録』(陳侃 1534年, 原田禹雄訳注, 榕樹書林, 1995)によると、「宴会が設けられた。金鼓笙瀟(きんこしょうしょう)の音楽が合奏され、国王は酒をささげて、私たちにそれをすすめて坐についた」とあり、ここに外交のために、なんらかの芸能が披露されていたでしょう。交流の中で、明から三絃が持ち込まれ、琉球で三線として宮廷芸能に組み込まれていくこととなる。「三線は士族男子が用いるもの」とされるのも、神ではなく、外交のウトゥイムチ文化であることが妙に納得できますね。近世に入り、日本の芸能と出会い、総合芸術「組踊」が生まれました。これもやはり外交であり、士族男子によって披露されたものでした。国の威信をかけて、磨き上げられた組踊は、冊封使へのウトゥイムチであり、琉球側としては、王族や王府高官の一部だけが、鑑賞できるものでした。琉球国の芸能でありながら、一般の人はその存在すら知らなかったと思われます。

首里城にて行われた冊封の儀再現 撮影:賀数仁然


4. 王国崩壊

いよいよ1つ目の危機が組踊に訪れます。最後の冊封から13年後、琉球国は崩壊し、日本の沖縄県となります。それは、清国からの冊封を受けることを禁止されること、つまり組踊をはじめとした、「御冠船芸能」の終焉を意味していました。王府から禄をもらっていた、士族らも解散。組踊は、披露する相手も、組踊を担う芸能家も失い、忘れ去られていく運命でした。しかし彼ら一部は地方に流れ、村アシビ、つまりお祭りに組踊をつなぎ、一部は、那覇にできたにわかづくりの簡素な芝居小屋で、木戸銭をとり、組踊を披露していきました。のち、明治期から組踊をはじめとする古典芸能だけでなく、雑踊りや歌劇など、現代琉球芸能黎明期をになう小屋が那覇にできてきます。

イギリス海軍が訪れた1816年の琉球の士族 ©️ 那覇市歴史博物館提供

 

5. 仲毛芝居跡

その代表格が、「仲毛芝居(なかもーしばい)」とよばれるところです。沖縄県が誕生してからできた、初の常設芝居小屋です。仲毛とは、現在の久茂地川にできた中洲のこと。埋め立てされてできた土地に作られました。芝居小屋といっても、舞台は四間四方の板敷の舞台があっただけ。1891年に、“寅の踊奉行”であった小禄朝睦氏によって、瓦葺に改築され、仲毛演芸場となった。彼は御冠船芸能の担い手たちの現状を憂いて、県庁から許可をとりつけたという。現在、那覇市東町、国道58号線西武門病院前あたりに看板もできています。

かつて仲毛芝居小屋があった場所 撮影:賀数仁然

 

埋め立てられる前の仲毛 撮影:賀数仁然

 

(次のページへつづく)

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