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組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Message|組踊と首里城Vol.1 「球陽の華」波照間永吉

去る10月31日、首里城の焼失という事態をうけ、識者の方々にメッセージをお寄せいただきました。
初回は、琉球文学を専門とする琉球文学者の波照間永吉先生です。

 

「球陽」という語は私にとってはなんともうるわしく、琉球・沖縄の品格と誇りを感じさせる言葉である。カリフォルニア大学宗教学部教授であり、書家でもあるロナルド・仲宗根先生がご揮毫なされ、私に下さった「球陽」の掛け軸が、がらんどうの我が家に掛けられている。私はその書を眺め、沖縄の今と将来を思うことがある。そして思う。ウグシク(御グスク=首里城)とクミヲゥドゥイ(組踊)はこの“球陽の華”であった、と。

復元なっておよそ30年、首里城は首里の丘にその絢爛(けんらん)たる姿をみせてくれていた。この沖縄の青空に映える美しい姿は、『おもろさうし』巻13-758番オモロに「首里杜(しょりもり)ぐすく/中辺清(なかべきよ)ら御ぐすく/だりじよ又(また)上(かみ)下 鳴響(とよ)め」(首里杜グスクは中空に浮かぶ見事な御グスク。実にその尊く美しい姿は上下の人々に轟き渡ることだよ)と、讃えられてきた。太陽神の末裔である王の聖性に彩られたな荘厳(しょうごん)な世界への讃仰である。

そのような聖なる空間でもあったウグシクで組踊は上演された。それが「北京御主太陽(ぺキンウシユティダ)」(北京の太陽なる御主様)の名代として派遣された冊封使を歓待するためのものであったことは周知のことである。玉城朝薫の天才が世界に二つと無い演劇を登場せしめた。以来、歴代国王の冊封儀礼にはこれが演じられた。“球陽”の国家をあげての行事であった。その取り組みがどのようなものであったかは、1838年の冊封のときの記録である「冠船躍方日記」(1839年)がその子細を伝える。華々しい舞台の裏で必死にかけずりまわる、王府役人と出演者たちの姿が彷彿とする。そして、この資料には、組踊が表(おもて)の、つまり、男社会にのみ享受されるものでなかったことも記されている。冊封使らが帰国の後に行われる「御膳進上(ごぜんしんじょう)」では聞得大君や「御女君」ら、王家の女性のために上演されたことが記されている。それだけではない。薩摩からの役人衆への披露もあった。

このように首里城と組踊は深く結び付いていた。まさに“球陽の華”としてウグシクと組踊は存在していたのである。これが明治政府の力による琉球併合の歴史の大波を浴び、近代以降、荒廃と衰退の道を歩むことになったのである。しかし、そのような困難の中にありながらもウグシクと組踊への愛着はその根を枯らすことはなかった。組踊は蘇り、ウグシクもまた再び私たちの目の前にその姿を見せてくれた。今、多くの人々が首里城の焼失を悲しんでいる。しかし、悲嘆の淵に沈むことはない。“球陽の華”の根は私たちの心の中にあり、これが芽吹かないままであることはない、と信じているからである。

 


波照間永吉(はてるま・えいきち) 沖縄県しまくとぅば普及センター長・名桜大学大学院教授

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