1. HOME
  2. 特集
  3. Message|組踊と首里城Vol.2 「芸能研究からみた首里城再建の意味」比嘉悦子

特集

組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Message|組踊と首里城Vol.2 「芸能研究からみた首里城再建の意味」比嘉悦子

去る10月31日、首里城の焼失という事態をうけ、識者の方々にメッセージをお寄せいただきました。
特別メッセージ「組踊と首里城」、今回は、沖縄県文化財保護審議会審議委員の比嘉悦子さんです。

 

本年は、玉城朝薫が尚敬王の冊封時に開かれた重陽の宴で二題の組踊(現在に伝わる「執心鐘入」と「二童敵討」)を上演した1719年から数えて300年目の節目に当たることから、官民主催のさまざまな組踊公演が企画され、上演されている。

特に私は、沖縄県主催で11月2日と3日に予定されていた首里城御庭での組踊上演300周年記念の式典と「琉球舞踊と組踊」の公演を心待ちにしていたが、その矢先の10月31日の朝、予想だにしなかった首里城炎上の映像を見るに至った。それが現実だと知った時のショックと衝撃はことばに尽くせないが、その直後から私のメールボックスは悲しみや激励のメッセージで埋め尽くされ、アメリカから中国から、イギリスの友人達からの電話が鳴り出した。

1992年、戦火で消滅した首里城が美しく蘇り、紅い漆で彩られた首里城を初めて目にした時の感動は今も忘れられない。そこから首里城の歴史を学び、その場で繰り広げられた芸能を改めて考える機会が与えられた。その時に始まったのが、中国から伝えられたという御座楽(うざがく)の復元研究である。御座楽は中国や台湾の研究者たちの助けもあって、平成13(2001)年にある程度の復元を見ることができた。その後は御座楽の演奏された首里城、薩摩屋敷、江戸上り(江戸立ち)等と、研究は江戸上りに広がり玉城朝薫と出会った。

玉城朝薫は1710年の江戸上り(徳川家宣の将軍襲職の慶賀使及び尚益王襲封の謝恩使)に使賛として同行している。その時の江戸上り行列絵巻に薩摩の役人たちに守られながら進む騎馬姿の玉城親雲上(たまぐすくぺーちん)が描かれている。朝薫は26歳、楽童子の年齢をすでに超えていたので将軍の御前で御座楽を奏でる機会はなかったが、江戸薩摩屋敷では女踊「くりまへおどり」などを踊っている。その当時の江戸では近松門左衛門が活躍し、人形浄瑠璃や歌舞伎が隆盛を極めていた時期だ。玉城朝薫も能や歌舞伎を鑑賞する機会が十分にあったと想像される。1712年、尚益王死去のため飛脚使として薩摩を訪れた朝薫は鶴丸城内で能や狂言を鑑賞したという記録も残っている。

玉城朝薫は1713年、尚益王の一周忌の踊奉行をつとめ、そして1719年、尚敬王の冊封の重陽の宴で琉球の楽劇・組踊を創作して披露したわけだが、役人として毎日のように首里城に出仕し、首里城の御庭を闊歩しながら江戸上りの準備、冊封儀式の準備、その他踊奉行として城内でのさまざまな歌舞音曲を指導していたのであろう。そのような玉城朝薫と華やかなりし頃の首里城が重なり合い、是非もう一度、組踊を首里城の御庭で鑑賞したいとを願うばかりである。


比嘉悦子(ひが・えつこ) 沖縄県文化財保護審議会審議委員

SPECIAL

特集リポート