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組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Column|『わたしたちの組踊 』 富田めぐみ

コラムでは、組踊をはじめとする芸能や琉球史に詳しい方々に寄稿をお寄せいただきます。
最後のコラムは、最初の記念式典と最後のシンポジウムの両司会進行を務めた、富田めぐみさんにお願いしました。
「わたしたちの組踊」。

 

2019年は、沖縄の文化を愛する者にとって忘れられない年になるでしょう。

組踊上演300周年と国立劇場おきなわ開場15周年が重なり、祝賀ムードいっぱいに様々な舞台公演・イベントが催されていました。組踊発祥の地である首里城正殿前の御庭(うなー)で、組踊上演300周年記念式典・記念公演を2日後に控えていた10月31日、首里城の大火災が発生。あまりのショックで何も手につかない中、沖縄県立芸術大学の学生が中心となってチャリティーコンサートが行われると知り飛んで行きました。琉球芸能専攻の学生有志が選んだ曲は「かぎやで風」。こんな時にお祝いの曲なんて・・・と否定的な声もあったようですが、終戦後の舞台でも演じられたというこの曲を選び、琉球文化の担い手として首里城再建を願う強い信念を持って若い実演家たちは観客の前に立ちました。彼らの「かぎやで風」は、清々しさと荘厳さを併せ持つ美しいもので、蕾から新しい花が開こうとする歌詞は、その場にふさわしいと感じました。琉球芸能は、喜びだけでなく、悲哀も内包するほど大きく豊かで、だからこそどんな時代も継承され、愛され続けてきたのだと改めて感じた出来事でした。

組踊は、中国皇帝の使節である冊封使のために創られた舞台芸能です。琉球を訪れた冊封使は半年近く滞在したと言われています。外交のため、琉球國の繁栄のため、国をあげて取り組んだ冊封使へのウトゥイムチ(おもてなし)。満漢全席にも例えられる、贅の限りを尽くした料理で歓待を受けた冊封使にとっても、自分達のために舞台が設えられ、特別な芸能が上演されたことは、何よりのVIP気分を味わったことでしょう。王府勤めの役人が組踊を創作し、役人やその子弟たちが芸能に通じ、見事な舞台を披露することで、琉球國の文化レベルの高さを示しました。小国とは言え琉球が一目おかれる存在となったことに、組踊は大きな役割を果たしたと考えられます。琉球・中国・大和文化を融合させ誕生した組踊ですが、漢文で演じることもできたかもしれませんし、影響を受けたとされる能や狂言を完コピすることもできたかもしれません。しかし、冊封使に筋書を配布し琉球語で演じ、大和芸能を琉球様式に昇華させて琉球独自の組踊を創作しました。組踊が300年続いているのは、この“琉球独自の芸能であったこと”が鍵ではないでしょうか。
自然発生した訳ではなく、国の事情で創らなければならなかった組踊ですが、当時の琉球が各国との交流で得た多様な英知、美術・衣装・小道具に至るまで高い美意識と技術を結集させて、唯一無二の総合芸術として組踊が誕生したのです。度重なる危機を乗り越えてこれたのは、中国皇帝の名代のために誕生したものであったとしても、それぞれの時代で携わる人々が、「わたしたちの組踊」として接してきたからではないでしょうか。

組踊は、幾度も存亡の危機がありましたが、その度に奇跡のように細い糸が繋がって現代まで継承されてきました。王府の庇護の下にあった組踊ですから、琉球國の滅亡とともにこの世から消えてもおかしくありません。しかし、組踊は首里から町に下りて商業演劇の中で、その命を繋ぐことになります。やがて沖縄芝居などに押され下火になり、さらに激しい沖縄戦が島を襲います。焦土と化した島で、いよいよ後がない組踊ですが、終戦の年の瀬に行われた「クリスマス祝賀演芸大会」では、組踊「花売の縁」が上演され、琉球芸能の再出発となりました。生き別れた親子の再会の物語に、客席の至るところで嗚咽が聞こえたと言います。戦後、男性の実演家だけで舞台を成り立たせることが厳しかったようですが、この時代、多くの女性実演家が組踊の命を繋ぐ担い手となりました。また、村々へ、島々へと伝えられた組踊も、それぞれの地方文化を融合させ、「わたしたちの村の組踊」、「わたしたちの島の組踊」として大切に継承されてきました。琉球國は、琉球処分で沖縄県となり、沖縄戦で米軍統治下におかれ、本土復帰で再び沖縄県となりました。琉球政府指定の重要無形文化財だった組踊は本土復帰とともに国指定の重要無形文化財となります。そして、2010年、ユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されました。今日、「わたしたちの組踊」の「わたしたち」は「人類」を指しているのです。

2020年1月22日 『組踊上演300周年記念シンポジウム』@国立劇場おきなわ 第1部では、組踊の継承や歴史の考証などに最前線で尽力された方々を中心に、これまでの取り組みを振り返りながら課題や今後の展望について意見を伺った。提供:沖縄県教育庁 文化財課

 

近年、伝統組踊保存会の結成、沖縄県立芸術大学の開学、国立劇場おきなわの開場、組踊養成研修の開始と、組踊をはじめとする琉球芸能にとって追い風が吹いています。組踊の上演機会も増え、古典組踊に加え、新作上演も盛んになっています。実験作もありますが、ここ数年、物語の筋は新しくとも、組踊の様式を用い、組踊の文法で創作された「真珠道」や「初桜」など再演が重ねられる傑作が誕生していることも喜ばしいことです。メディアにも取り上げられ組踊を目にする機会も増えてきました。組踊の歴史の中で、最も隆盛を極めていると言ってもいい今だからこそ、次世代に向けての取り組みをより積極的に進めていくことが必要だと感じています。
琉球芸能は、初めからその魅力の全てを汲み取るにはハードルが高く、素養を持てば持つほど理解が深まる、観れば観るほど、触れれば触れるほど面白くなってくる芸能です。例えば、沖縄県内の全小学校で、音楽の授業に「かぎやで風」を歌い、体育の授業に「かぎやで風」を踊り、国語の授業に組踊の唱えを学ぶ、芸術鑑賞会で在学中に一度は組踊を鑑賞する。学習発表会で組踊を演じられるよう台本を整備し、指導者の派遣を行う。これで、小学校を卒業する頃には、琉球芸能の基礎はばっちり!いつでも劇場に出かけて楽しむことができるし、その道に進みたいと興味を持つ子も出てくることでしょう。

2020年1月22日 『組踊上演300周年記念シンポジウム』@国立劇場おきなわ 第2部では多分野の専門家に登壇頂き、第1部の話題もふまえ、今後に向けた取り組みの必要性などについて活発な議論がされた。提供:沖縄県教育庁 文化財課

 

組踊上演300周年を迎えた2019年は、組踊を生み出した玉城朝薫をはじめ、困難な時代も情熱を傾けて組踊の命を繋いできた名優たち、彼らと舞台を共にした名もなき人々、そして今日、次の世代へと繋いでいこうとする人々、支える観客・・・全ての人の労をねぎらい、讃える一年だったと思います。苦難の中でも、先人たちが決して手放さなかった美しく、楽しい時間。組踊をはじめとする琉球芸能は、先人たちの時間や情熱ごと受け継がれ、今日携わる人々の大きな力となっています。
築城から度重なる火災に見舞われても、見事に蘇ってきた首里城もまた、多くの職人たちと、名もなき人々の汗と涙の結晶です。いつかまた美しい首里城が再建された暁には、必ずや組踊が上演されることでしょう。

琉球國の繁栄を願って、冊封使のために創られた組踊を見る度、「国」とはいったい何だろうと問いかけられている気持ちになります。「国を守るため」に国と国との争いがおき、「国を守るため」に大切な「人」の命が失われていきます。そんな世界を憂いている一方で、国を失ってなお、豊かな文化が生き続ける琉球の輝きが眩しく、尊いものに感じられます。争うことではなく、多様な価値観を持つ人々と交流することで築きあげた琉球文化の象徴が組踊です。琉球文化を世界の人々と共有することで、国を失い彷徨う人々や、国の姿に疑問を感じる人々を含め、世界に勇気と示唆を与えることができると信じています。

わたしたち人類の宝である組踊の、益々の繁栄を心からお祈りして・・・踊て戻ら。


コラム 富田めぐみ(とみた めぐみ)地域祭祀を司るノロの家に生まれる。幼少より芸能に親しみ、高校在学中にラジオパーソナリティーとしてデビュー。以降、ラジオ・テレビ・CM・映画・舞台に数多く出演。また、演出助手として沖縄芝居、歌劇、組踊、現代劇を学ぶ。文化庁新進芸術家在外研修員としてフランスで研鑽を積み、アヴィニョン演劇祭 OFF で演出家デビュー。以降、琉球芸能実演家や多分野アーティストと創作する作品は、日本代表作品としてアジア・ヨーロッパ・アフリカの国際演劇祭や、シドニーオペラハウス等の劇場より公式招待を受け公演を行う。演出作『ボトルメール』が、エジンバラ演劇祭フリンジで四つ星、アヴィニョン演劇祭 OFFで五つ星評価を得る。『五月九月(ぐんぐぁちくんぐぁち)』が第74回文化庁芸術祭(大衆芸能部門)大賞を受賞。


 

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