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組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Interview|未来への継承者たち Vol.12「久志大樹」

1719年に組踊が上演されてから300年、多くの先人たちによって組踊が今日まで伝え続けられてきました。
「インタビュー|未来への継承者たち」は、次の100年をつなぐ役割を担う中堅・若手実演家たちにスポットをあて、シリーズで組踊の魅力やこれからの組踊について語っていただきます。
久志大樹さんの太鼓との出会いは幼少期のこと
。その演奏のかっこよさに惹かれてはじめた太鼓ですが、二人の人間国宝からの教えを誇りに、次代へつなぐべく、新作組踊にも意欲的に取り組んでおられます。

(インタビュー:真栄里 泰球)

Q|島袋光史先生、比嘉聰先生と2人の人間国宝(組踊音楽太鼓)に師事しています。

2人の師匠を誇りに精進する久志大樹さん。撮影:真栄里泰球

久志大澍(以下、久志)|保育園ごろから、母の師匠である喜納初子先生(玉城流喜納の会家元)から琉舞を習っていました。そのうち、踊りより太鼓が格好いいと思うようになり、小4で喜納先生が島袋光史先生を紹介してくれました。実家から近いという理由だったようですが、光史先生の練場(研究所)は、師範の先生方などが習いに来るところで、「弟子はとらない」という話もあったのですが、光史先生が「遊ばせとけ」と言ってくれました。練場には子どもは僕1人で、沖縄タイムス伝統芸能選考会の最高賞までは光史先生に師事したのですが、2006年に光史先生が亡くなってからは、「グランプリは受けてみよう」と導いて下さった聰先生のもとで学んでいます。

 

Q|「組踊音楽太鼓」の人間国宝は島袋光史先生が最初(2003年)です。組踊の中で太鼓はどのような役割を果たしていますか。

久志|古典音楽には5つの楽器(三線、箏、笛、胡弓、太鼓)がよく使われます。そのなかで、太鼓は音階がないので、限られた音しか出ないんです、「トン」と「ドン」、それに「ヤ声」(かけ声のようなもの)です。それだけで、心情と情景を描写するのが魅力です。組踊は抑制された型の芸能なので、太鼓もリアル過ぎず、抑制しながら感情移入すると音が変わっていきます。

「シネマ組踊・執心鐘入」の太鼓を打つ久志大樹さん。 提供:久志大樹

 

古典作品の「執心鐘入」の鬼女と座主たちの対決の場面では、苦しむ鬼女の感覚になります。打っている僕の顔も変わっていると思います。「誰も私のことを理解してくれない」ともがく心の声みたいなものが表れるのではないでしょうか。
実は「執心」を習ったことはないんですよ。聰先生に「教えることができない」と言われました。聰先生も光史先生から習ったことはなく、見て覚えたと話していました。
国立劇場おきなわで初めて「執心」に出るときになった時の最初の稽古を覚えています。稽古で上手くできないでいたら、聰先生が「代わってみろ」と仰って、「いーよー」の声とともに太鼓を打ったら、一瞬で空気が変わってしまいました。腰が抜けるというか、本当に衝撃でした。聰先生も全く同じことを光史先生にされたそうです。
2人の師匠のやり方を意識しています。光史先生の古い映像を見ると、打っていない時と、手数が多い時があります。また、光史先生のやりかたで打つと、他の先生から「聰先生はこんな風にはしていない」と注意を受けたりもします。光史先生もいろいろ研究の段階があって、聰先生はそれを見ていると思うんですね。だから、僕も気付くことが大事なのだと思います。

Q|新作組踊にも取り組んでいます。2019年の「花の幻」(作・大城立裕、演出・嘉数道彦)では新垣俊道さんとともに音楽を担当しました。

久志|国立劇場おきなわの公演で初めての音楽指導でした。初演の時は音響効果などを使っていたのですが、今回は可能な限り古典の楽器でやりたいとの演出の方針がありました。DVDを見返して、「はいこれ(ミサイルの音)を全部太鼓で」と言われて、頭が真っ白になりました。人数が多ければ迫力が出るとの考えがあったのですが、結局太鼓の音なんですよ。ミサイルには聞こえない。資料を調べたり、俊道さんと平和祈念堂や資料館に行ってみたりしました。
「組踊だからシンプルに」とちょっと逃げたところもあったのですが、道彦さんに「何もしてないのに、なんで諦めるの。久志のカラーを出してほしい」と言われました。ずっと樽太鼓を眺めて、どうしたらいいのか考えているうちに、竹の桴を使うと、射撃の音、機関銃みたいな音になるとか、桴に革をつけてソフトに打つと隣村の爆撃のようになるとか、太鼓の皮を桴でこすると戦闘機がどこかで飛んでいるような不思議な音が出るとか、アイディアがひらめきました。
光史流に「千鳥の手」という打ち方があるんですね。「トントントトーン」というリズムなんです。幕切れで、「千鳥の手」を打つ人数をだんだん増やしていって、平和に向かって進んでいくイメージを出す工夫もしました。太鼓のメンバーは聰練場のみんなで、息を合わせることができたし、光史流で培ったものが生きました。

光史流の太鼓は舞踊の地謡にも定評がある。 提供:シアター・クリエイト

 

Q|光史先生、聰先生から得たものは大きいですね。

久志|光史先生のところは週に2回の稽古で、小学生のころは「島尻天川節」が格好良くて、早く覚えたいと、がむしゃらにやりました。先生はおじいちゃんみたいな感覚で、こわいイメージもなかったです。人間国宝になった時も「へー」という感じでした。今なら、聞きたいことがもっとあるんですが、“すごさ”に気付くのが遅かったです。2006年に亡くなった時は心の中が空っぽになりました。告別式などが終わって、練場の先生の席が空いているのが辛かったですね。「これからどうなるんだろう」と、不安だった時に聰先生から「かりゆし芸能公演を見に来い」と連絡がありました。そのとき、影地謡を初めて見て、「CDじゃないんだ、生でやってたんだと」と分かったくらい、何も知らなかったのですが、聰先生が「俺のところに来い、行くところないだろう」と声をかけてくれました。先生の舞台を後ろから聞いて勉強して、第2の太鼓人生は充実しています。

比嘉聰先生(中央)の人間国宝認定書交付式懇親会で。右は光史流太鼓保存会の喜舍場盛勝会長 提供:久志大樹

 

Q|ご自身の出演も増えてきました。また、沖縄県立芸術大学でも教えています。

久志|週に1回くらいは舞台があって、呼んで頂けるのはうれしいです。舞台に向けてみんなの気持ちが一つになっていく過程は手応えがありますね。2019年の国立劇場おきなわ研究公演「御冠船踊と組踊」は、野外に組踊が初演されたときの舞台が再現されました。組踊の打楽器は太鼓のほかに鼓も使われていました。当時はどんな風な音だったのか興味深かったです。

2019年10月4日 国立劇場おきなわ研究公演「御冠船踊と組踊」。組踊「執心鐘入」より:©︎国立劇場おきなわ運営財団

沖縄県立芸術大学で教えて3年目くらいになります。練場と違って限られた期間なので、どう凝縮して教えられるかを重視しています。僕自身はパンの会社で16年ほど働きました。就職の面接でも尊敬する先生と太鼓の話ばかりしていました。よく雇ってくれたと思います。舞台が増えて、同僚に負担もかけられないので、独立して宜野湾市でタルトの製造販売をしながら芸能を続けています。太鼓がなかったら、今、何をしていたのか、想像もつかないですが、誇りである2人の師匠から何かを感じて学んでいきたいです。


くし・だいき 1982年那覇市生まれ。光史流太鼓保存会師範。沖縄県立芸術大学非常勤講師。沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。

 

 



インタビュー:真栄里泰球(まえざと・たいきゅう)
2001年沖縄タイムス社入社。組踊や琉球舞踊など琉球芸能を長く取材。
新聞のほか国立劇場おきなわステージガイド「華風」、各種雑誌などにも寄稿している。

 


 

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