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特集

組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Interview|未来への継承者たち Vol.8「森田夏子」

1719年に組踊が上演されてから300年、多くの先人たちによって組踊が今日まで伝え続けられてきました。
「インタビュー|未来への継承者たち」は、次の100年をつなぐ役割を担う中堅・若手実演家たちにスポットをあて、シリーズで組踊の魅力やこれからの組踊について語っていただきます。
クラシックの声楽家を目指していた森田夏子さんが沖縄文化の継承への使命感にかられたのは、ラジオから流れる故嘉手刈林昌さんの歌声に魅了されたからでした。

(インタビュー:真栄里泰球)

Q|胡弓や三線の演奏家としてご活躍ですが、もともとは西洋音楽だったのですね。

森田夏子(以下、森田)|琉球古典芸能を始めたのは2000年です。それまではクラシックでした。開邦高校でピアノをやっていて、長崎の活水女子大学の声楽科に進みました。2年生の夏、寮の部屋のラジオで沖縄の有名な人が亡くなったと聞きました。その後歌が流れてきて、なんて素敵なんだろうと思いました。後から嘉手苅林昌さんだと知りました。その時「こんなに素晴らしい音楽はだれが継ぐのだろう、継ぐ人がいなければ無くなってしまうのではないか、私がやらなくては」と勘違いのような使命感が湧いてきました。クラシックでも民族音楽的なものに関心があったので、沖縄の文化がなくなったら大変だと思ったのだと思います。大学の先生には「卒業してもできるから」と止められましたが、沖縄に戻ってきました。高校時代に独学のチンダミで「安里屋ゆんた」を弾いたことはありましたが、工工四(くんくんしー:楽譜)は読めません。「習うしかない。それには大学だ!」と沖縄県立芸術大学の教授だった喜瀬慎仁先生にお電話していました。実は大学の講義で、沖縄の音楽に古典と民謡、ポップスなどの違いがあるとわかったくらい、何も知らないで飛び込みました。大学では古典の三線を専攻、副科で胡弓を学びました。

 

クラシックから琉球古典芸能の世界に飛び込んだ森田夏子さん

Q|組踊との出会いも芸大ですね。

森田|学内演奏会での「高平良万歳」が最初です。歌三線を担当しました。父が千葉の出身なこともあり、沖縄の言葉を使わない家で育ちました。最初は組踊のせりふが分からず、正直に言うとつまらなかったです。先輩の嘉数道彦さんを捕まえて教えてもらったり、沖縄芝居のビデオからせりふを書き起こしたりして、英語を学ぶように勉強しました。言葉が分かるようになり、3年生の時には、面白いと思うようになっていました。

胡弓は伴奏楽器なので、あまり見せ場はないようですが、最近は、場面に合わせて胡弓を生かす演出もあったりしますので、雰囲気を考えて音色を変える気持ちで弾いたりします。古典組踊の場合でも長い「子持節(くぁむちゃーぶし)」などは胡弓が使われたりします。二揚の曲は指が追いつくまでの訓練が大変ですが、三線でなく胡弓でやってといわれてもできるように自主練をしています。

Q|胡弓は又吉真也先生に師事されました。

森田さんの工工四には独自の書き込みが施されている

森田|大学の授業で先生に出会いました。胡弓は伴奏楽器なので、目立ってはいけないのですが、先生は、目立たないのに「又吉真也の音」と分かる存在感があるのが魅力です。公演などのほか、選考会の指導やカルチャースクールの講師はされていましたが、研究所は持っていませんでしたので「開いて下さい」とお願いして弟子入りしました。先生は、他のお弟子さんには手書きの工工四を渡すのですが、私はもらった試しがありません。自分で三線を弾いて歌のメロディーを覚え、その旋律を胡弓に置き換えて、先生に聞いてもらうという風に稽古しました。2015年にある独演会で「加那よー天川」の地謡をした時に「みんな乗っているのに、なんで真面目な顔をして弾くんだ」と厳しく言われました。本気で叱られたのは、それが最初で最後です。ある時「お前が男だったらな」とぼそっと言われたことがあります。ある公的な研修に女性も応募できるようにしてほしいと言い続けて下さったのに実現しなかったり、もともと男性の芸能だったので女性への壁を先生も感じていたのかも知れません。だからこそ、私は技術では負けないように頑張っていこう、先生に恥をかかせないようにしようと思っています。

胡弓を師事した県指定無形文化財「沖縄伝統音楽野村流」保持者の故又吉信也先生と(写真:本人提供)

 

Q|演奏家としての持ち味を自己分析すると。

森田|組踊は前奏がなかったり、仮名掛けという独特の技法があります。その際に音をきちんと捉えることができるのは洋楽をやっていて良かったところです。組踊に限らずですが、琉球古典音楽の伴奏には苦労しました。古典音楽の琉球音階は西洋音階にない音があるので、西洋音階の感覚が身についた私には、歌三線の勘所を聞き取るのが大変でした。特に胡弓は旋律を歌の節入まで追って弾くので、その先生の音源を探して何度も聞いて勉強します。

洋楽経験の影響といえば、私は抑揚をつけた演奏をする癖が抜けなくて、19年たっても又吉先生の真っ直ぐな音が真似できません。古典の場合は先生に似せて弾きたい。でも、創作曲の場合は、作曲者はメロディーだけをポンと聞かせて、「自由に絡んできて」みたいなことが多いので、和音を工夫したりするときには、自分のやり方を生かします。

胡弓の旋律を大切に演奏活動を続けている(写真:本人提供)

 

Q|演奏だけでなく工房も開いています。

森田さんが試作した三線の胴巻き

森田|今年5月に開設しました。胡弓の弓やウマを作っています。ゆくゆくは楽器もと思っています。又吉先生は演奏と同時に三線や胡弓などの製作でも有名でした。2月に先生が亡くなった時「沖縄の楽器がなくなったら大変」とまた使命感が出て・・・。舞台と製作の両方をやる先生を見て、大変だろうとずっと思っていたのに、同じことをしていますね。
これからも又吉先生を追いかけます。

 

 

 

 


森田夏子 もりた・なつこ   1979年生まれ。琉球古典音楽野村流保存会師範。三線を喜瀬慎仁、胡弓を又吉真也に師事。沖縄タイムス芸術選賞奨励賞(三線)、沖縄タイムス伝統芸能選考会グランプリ(胡弓)。



インタビュー:真栄里泰球(まえざと・たいきゅう)
2001年沖縄タイムス社入社。組踊や琉球舞踊など琉球芸能を長く取材。
新聞のほか国立劇場おきなわステージガイド「華風」、各種雑誌などにも寄稿している。

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