1. HOME
  2. 特集
  3. Interview|匠たちの舞台裏 Vol.4 「仲嶺 幹」

特集

組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Interview|匠たちの舞台裏 Vol.4 「仲嶺 幹」

300年に渡って受け継がれてきた組踊。「インタビュー|匠たちの舞台裏」は、舞台を支える裏方にスポットをあて、シリーズで組踊の魅力について語っていただきます。
組踊をはじめとする沖縄芸能に欠かせない楽器といえば三線。昨年、その三線が国の伝統的工芸品に指定されました。シリーズ4回目は、「沖縄県三線製作事業協同組合」の仲嶺幹事務局長に、海外産に圧される県産三線の現状と、今後の展望について伺いました。

(インタビュー:記念事業広報)


Q|
三線をとりまく現状について教えてください。

仲嶺幹(以下、仲嶺)沖縄県三線製作事業協同組合が立ち上がったのは平成22年。きっかけは、県産三線が産業として厳しい状況にあるから。県産三線をブランド化しようと組合を設立し、国(経済産業省)の『伝統的工芸品』の指定を目指すことにしました。
楽器が伝統的工芸品に指定された前例は唯一、広島県の福山琴があるだけ。指定の条件に、「主として日常生活の用に供されるものであること」とあって、三線が日常生活に根ざしたものだと証明する必要がありました。
そこで、2年前に三線保有率の統計調査をしたところ、県民一人当たり0.79挺、約87万挺の三線が県内にあるという数字が出ました。自家用車の保有率とだいたい一緒だったんです。これを日用品と言わずしてなんていうかって話ですよね。
同じく統計調査によると、三線は年間4万挺消費されているけれど、そのうち3万挺がベトナム産でした。とくに低価格帯の三線の90%以上は海外産。低価格の三線で腕を磨いてきた若手職人の仕事が海外に流れている状況です。組合員で弟子を抱えられる職人は、ほとんどいなくなってしまいました。

Q|組合では三線の復元事業にも取り組まれていますね。

仲嶺|はい。沖縄県立博物館の「琉球王国文化遺産集積再興事業」です。いままでの復元事業は、形や色を再現しようというものでしたが、この事業では、三線をCTスキャンにかけるなど学術的な分析を研究者とともにやっています。この研究が、伝統的工芸品の指定にも役立ちました。
県指定文化財の「盛嶋開鐘(もりしまけーじょー)」、「志多伯開鐘(したはくけーじょー)」、「富盛開鐘(とぅむいけーじょー)」、「江戸与那(えどゆなー)型」、「拝領南風原(ふぇーばる)型」と、東京国立博物館の「蛇皮線」を調査しています。

沖縄県立博物館・美術館所蔵の「盛嶋開鐘」。「開鐘」とは三線の名器に付与された尊称。盛嶋開鐘は、開鐘の中でも「開鐘中の開鐘」「筆頭開鐘」と讃えられた最高の名器で、歴代の国王に寵愛された。写真提供:沖縄県立博物館・美術館

東京国立博物館所蔵の「蛇皮線」(第2尚氏時代) 写真提供:東京国立博物館 (研究情報アーカイブズ https://webarchives.tnm.jp/)(画像番号:C0065469)

 

Q|復元事業に取り組むなかで、どういう発見があったんでしょうか。

琉球王国時代の三線のチーガ(胴)は、現代のものに比べて大ぶりで、内側が加工されていた。写真提供:沖縄県三線製作事業協同組合

仲嶺|県指定文化財の三線のうち、開鐘の銘が付いている3挺は王朝時代のチーガ(胴)のままといわれていますが、江戸与那と拝領南風原は、チーガが変えられているのがわかっています。王朝時代のチーガは、現在のものより2センチ近く大きい。内側に細かい刻みが入れられていたり、漆を塗ったものもあり、低い音をより長く出るようにしようとした形跡がみられます。
昔は低音で、音がぼよんと、余韻の出るものが好まれたのかもしれません。かつてヘビ皮は高級品でしたが、高度経済成長期になり輸入量が増えると、やぶれるぐらい強く張っていいんだという風潮がうまれ、高音化につながったとも考えられます。
よく職人の間で言われてきたのは、昔は皮を強く張る技術がなかった、接着剤が弱かったとか、ヘビ皮が薄かったということでしたが、昔はいまより劣っていたというのは現代人のエゴ。現代の音がいい音で、昔は技術がなかったとか、知識がなかったというのは違うんじゃないかな。
復元事業には研究者も参加しているので、他の楽器が歴史的に高音傾向を示しているという実証をもとに、三線の音も好みの変化にあわせて高音化してきたのではないかという議論ができるようになってきました。三線の形は大きく変わってないけれど、現在は胴も強く張るし、弦も絹糸から丈夫なナイロンになり、高い音が出せるようになっています。

Q|“良い三線”は時代ごとに違うということでしょうか。

東京国立博物館所蔵の蛇皮線の復元試作品。

仲嶺|東京国立博物館所蔵の蛇皮線は、廃藩置県5年後の明治17年に、日本政府がドイツに提供した宝物のひとつです。日本政府が沖縄から2セットずつ工芸品や紅型といった宝物を取り寄せ、ドイツと日本政府が所蔵しました。蛇皮線は部分補修以外ほとんど手が加えられておらず、当時のヘビ皮や漆が残っている、とっても珍しいものでした。胴巻きは、べっ甲をクジラのヒゲで巻き、象牙の鋲で留めたもの。ヘビ皮を縫った「抜い楔張り(のーくさびばい)」という技術も確認できました。当初、東博から修復はされていないと説明を受けていましたが、熟覧会が開かれた際に三線職人が所蔵品を手にしてみると、男弦(をぅーぢる)のカラクイ(糸巻)は黒檀製にも関わらず、中弦(なかぢる)と女弦(みーぢる)のカラクイには紫檀が使われていることがわかりました。ヘビ皮も部分的に補修されていました。補修跡は鱗目が逆さまで、沖縄では逆張りは縁起が悪いとされるので、日本で修復された可能性を指摘しました。2回目の熟覧会のときに、弦も日本の三味線の弦が張られていることがわかりました。後日、昭和7年の修復記録が見つかったと東博から連絡がありました。元琉球大学教授の大城學先生の推察によると昭和8年に三線の展示会があったことから、それに合わせて修復したのではないかということです。
さらに、東博のものは、よく見たらうっすらと棹に線がみえました。そこで、たぶん接がれていると指摘し、棹をCTスキャンにかけて調べたところ、4箇所に接ぎ目がみつかりました。
現在では、一本の木を削りだして作る棹が良い棹とされていますが、宝物には継ぎ目があった。あたらしい発見が続くので、正しいとされてきたことを疑う必要が出てきました。

Q|実際に、復刻した三線で演奏していますよね。

仲嶺|はい、実力のある若手演奏家による「歌鎖(うたぐさり)」という公演で演奏してもらいました。復刻三線は、岸本尚登さん、上原正男さん、吉川徹さん、枝川勝さん、私が1挺ずつ製作し、平良大さん、仲村逸夫さん、新垣俊道さん、喜納吏一さん、和田信一さん、の5人に演奏してもらいました。弦もナイロンではなく絹糸を使って。絹糸はナイロンのように強く張れないので、調弦は2(A#)で歌ってもらいました。稽古は苦労したようです。低音だと音を拾いづらく調弦しにくいんですよ。

現代の音楽環境のなかで、復刻された三線の低音重視の音色は、一周まわってあたらしい三線の音色に聞こえます。調弦の高さが変わると、歌唱法も変わる。血気盛んな若手が、声を張り上げずにろうろうと歌う感じとか、とても雰囲気があって魅力的で、また別のジャンルの音楽みたいでしたよ。

琉球古典音楽「歌鎖」公演 撮影:大城洋平

Q|最後に展望があれば。

仲嶺|伝統的な技術や技法は、調べれば調べるほど面白いし、すごいなと思います。伝統の底力みたいなものを、どう知ってもらうかが「ブランド化事業」のテーマでもあります。
ポップスなど、三線を使う音楽の需要が増え三線の普及は右肩上がりだけど、県内で本格的に三線をつくっている職人は減っている。いま改めて民謡や古典、組踊など“本格派”と呼ばれるところにもしっかりと光が当たってほしいですね。
歴史はひとつのところに止まっているわけではないので、三線職人、実演家がしっかり歴史を学び直した上で、新しいものにチャレンジすれば、地に足のついたものが生まれるように思います。
展望ですか? そうですね、復刻版三線による組踊の上演かな。王朝時代と同じ環境で復刻版三線の演奏を聞いてみたい。ここから現代の音色にたどり着いたんだということを実感してみたいですね。

 


【イベント情報】
三線職人・演奏家が語る三線の歴史『「琉球」の音色を聴く~王朝時代と現代の三線聴き比べ~』|三線職人と演奏家、研究者がそれぞれの立場から三線について語ります。実演奏も交えながら、王朝時代の音色について、最新の研究や調査結果をお伝えします。|2019年11月7日(木) 14:40~16:10|京都市立芸術大学・合同研究室(京都市西京区大枝沓掛町13-6 新研究棟7階)


仲嶺幹 なかみね・みき 三線職人。沖縄県三線製作事業共同組合事務局長。
1976年浦添生まれ。三線屋の長男として生まれ、多くの三線とそれを使う人達に囲まれて育つ。19歳の時、父・仲嶺盛文に弟子入り、24歳で叔父・仲嶺盛英の三線店を継ぐ。


インタビュー:樋口貞幸 オフィス・へなちょこ主宰。

SPECIAL

特集リポート