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組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Interview|匠たちの舞台裏 vol.3「大城弘明×大城洋平」

300年に渡って受け継がれてきた組踊。「インタビュー|匠たちの舞台裏」は、舞台を支える裏方にスポットをあて、シリーズで組踊の魅力について語っていただきます。
公演を記録する「舞台写真家」というお仕事があります。当サイトでも、多くの舞台写真を使わせていただいている写真家の大城弘明さん、洋平さん父子に、ライターのたまきまさみさんがお話を伺いました。

(インタビュー:たまきまさみ)

Q|カメラのお仕事と芸能に携わるようになったきっかけ

大城弘明(以下、弘明)|写真を始めたのは、遡ると糸満高校1年の時、郷土研究クラブに入っていてそこで写真の焼き付けを習ったのがきっかけで写真の虜になりました。大学卒業後は1年ぐらい東京で写真の勉強をしました。翌年就職をするために沖縄へ戻ったのですが、東京で過ごした1年の間で非常にウチナーグチが恋しくなって、沖縄に戻った1973年の7月に那覇市与儀の那覇文化センターで真境名組踊会・温習会の組踊「執心鐘入」と「護佐丸敵討」を見ました。真喜志康忠先生と宮城美能留先生の阿麻和利を2本見て、座主が大城政子先生や玉城秀子先生、中城若松が玉城静江先生、古謝弘子先生など錚々たる顔ぶれでした。組踊との直接の関わりはここからで、無料で4公演も見て撮れたのはいま振り返るとすごいことです。その年の秋に新聞社に入社したのですが、必然的に仕事として芸能の取材がありました。1980年代になると琉球舞踊の独演会などの撮影依頼もあり、実演家の方たちとの交流も増えて芸能が大好きになっていました。組踊とふたたび関わることになったのは、1984年の玉城朝薫生誕300年公演と、1989年の眞境名由康生誕100年の時です。

組踊「護佐丸敵討」あまおへ・真喜志康忠 1973年 真境名組踊・温習会:那覇文化センター ©︎ 撮影 大城弘明

 

組踊「護佐丸敵討」おまおへ・宮城美能留 1973年 真境名組踊・温習会:那覇文化センター ©︎ 撮影 大城弘明

 

大城洋平(以下、洋平)|写真を始めたのは、小さいころから身近にカメラがある環境だったからです。大学卒業後数年経って実家に戻り、就職もしていなかったのでカメラを使う仕事をと、結婚式場のカメラマン見習い、そして新聞社のカメラマンと仕事を通して勉強しました。そのころ国立劇場おきなわがオープンして。最初は僕ではなく父に大城學先生から撮影の依頼がありました。しかし父は新聞社の社員だったので、依頼を受けられなかったんですね。

弘明|ちょうど国立劇場おきなわがオープンした時期は撮影の対応ができたのですが、そののち人事異動で写真部の部長になって勤務形態も変わり、なかなか撮影に行けなくなって。異動になってからはフリーのカメラマンの方が劇場へ担当として入っていました。それなので、僕は国立劇場おきなわが開場してから3カ月しか撮っていないですね。

洋平|そのあと担当のカメラマンが辞めて、父も対応できないということで、週末撮影対応ができる僕が担当することになり、開場記念公演がほぼ終わった時期から携わっています。20代後半までは別の仕事と掛け持ちをしながら、その仕事の契約満了後はデザイン関連の勉強のため、職業訓練校に1年間通いながら劇場で撮影を続けていました。訓練校修了後はフリーのカメラマンでやっていこうと思っていたのですが、たまたま修了式の翌日に組踊研修1期生の最後の研修発表公演の撮影があり、彼らの緊張感や覚悟なんかを舞台の撮影を通じて感じ、彼らに負けないように置いて行かれないように撮影を続けられるふさわしいカメラマンでありたい、と今でも思いながら続けています。劇場オープン当初はフィルムでの撮影で、本番当日に公演撮影をしてフィルムのままで納品するまでが仕事の流れでした。それなので画像処理などの作業はなかったのですが、その代わりどんな写真になったのかもわからないし、自分の手元にも残らないという感じでした。2009年の途中からデジタルに移行しましたが、カメラの発達とともに試行錯誤でした。最初はフィルムの撮影と同様に撮影したデータをその場で納品という流れでしたが、印刷の段階で撮影した舞台の公演の色とは全く違う変色した色になってできあがってしまったことがあったり、意図しない写真が使われたりすることがあったり。こんなことになると自分自身もきついし、きちんと責任を持って写真のセレクトと画像処理をしてから納品できるようにしたいとお願いし、現在は撮影、セレクト、画像処理まで請け負う形になっています。

Q|初めて見た組踊、カメラを通して見てきた組踊の移り変わり

洋平:組踊を初めて見たのは高校生の時で、いま「子の会」がやっているような学校公演のような感じでした。高2ぐらいの時に宜野湾市民会館で見たのですが、組踊という存在もわからないし半分眠かったのですが「執心鐘入」の鐘が吊られるシーンはよく覚えていて、「鐘が浮いた。すごい!」と思ったのと唱えのリズムが印象に残っています。

弘明:僕は40年余り組踊を見てきて、1973年が初めて見た舞台。この時は照明も少なく蛍光灯が中心なのです。「執心鐘入」の鐘は組み立て式の小さな鐘で、下に置いてありました。復帰の年に国指定になってからみなさんすごく頑張っていました。1960年から70年代にかけては男性陣がとても少なくて、多くの女性舞踊家が組踊を演じていました。佐藤太圭子先生の宿の女や中城若松、玉城節子先生の中城若松など東京でも公演を行っていました。昔の先生方では島袋光裕先生や宮城能造先生、親泊興照先生も少し見ています。唯一、眞境名由康先生を見られなかったのは残念に思います。大掛かりというかセットが大変なので、時々しか上演しない「孝行の巻」。当時は大蛇に長い板をつけていて、先っぽからかろうじて爆竹の火花みたいなものが出ていて。いまは実演家の方が大蛇を被るけれど、昔は大蛇を長い棒で二人掛かりで揺らしていたので、縦の動きと大蛇が出て引っ込むぐらいの動きしかできなかったんです。重かったと思います。苦労も重ねた時代だったのですが、いまはとてもきれいじゃないですか。そういう移り変わりも思い出しながら、国立劇場おきなわで「孝行の巻」を見ました。「執心鐘入」の鐘も相当変わりましたね。最初に見たときは人が入れないぐらい小さな鐘でね。吊ったのを見たときは感動しました。

組踊「孝行の巻」1997年 場所:県立郷土劇場 ©️ 撮影 大城弘明

 

洋平:「孝行の巻」の大蛇を作ったのは、島根県浜田市で石見神楽の大蛇制作と同じところで作っています。公演の視察撮影で島根県に行ったとき、工房見学をした際にこちらで作っているものだと知りました。

Q|一番印象に残っている公演

弘明|僕は1996年10月19日に和歌山県の道成寺の境内で行われた組踊特別鑑賞会ですね。境内でしたがお客さんは500人ぐらいでした。舞踊と組踊「執心鐘入」を上演したのですが、宿の女を宮城能鳳先生、中城若松を赤嶺正一先生、座主は眞境名正憲先生が演じました。歌三線は照喜名朝一先生、太鼓は島袋光史先生で鬼女のシーンがものすごく盛り上がって拍手大喝采の公演でした。また鐘を吊っている様子が感動的でした。鐘はクレーン車で吊り上げ、滑車を使って4人の裏方が上げ下ろしをしていました。境内の舞台は、国宝の仁王門、本堂、三重塔を背景にした仮設舞台。中央には庭の松の枝が伸びている贅沢な空間だった。前日の室内での稽古着のままの稽古風景からとことん見ていたこと、道成寺の本堂でお参りをしたり、住職さんの説明を受けたりするうちに次第にみんな盛り上がってきて、裏方も含めて一致団結した空気も含めて盛り上がった公演だったので、いまだに鮮明に残っています。これが一番印象に残っている公演です。もうひとつは地方の組踊で、1990年に伊是名島へ行った際に公民館で行われた豊年祭の組踊は「矢蔵之比屋」だったんです。このときの舞台と観客との掛け合いが非常にほのぼのとしていたし、最後の仇討ちのシーンも拍手と指笛の喝采で。地域の組踊はこういうふうに育てていくんだなと感じました。90年代に見た地方の組踊のパンフレットを広げてみると、いま現役でがんばっている実演家の方の名前があったりして、うれしくなります。

1996年10月19日 組踊「執心鐘入」特別鑑賞会 リハーサル 場所:道成寺境内(和歌山県)©️ 撮影 大城弘明

 

1996年10月19日 組踊「執心鐘入」特別鑑賞会 場所:道成寺境内(和歌山県)©️ 撮影 大城弘明

 

洋平|僕は2014年11月3日に国立劇場おきなわで行われた第9回宮城能鳳独演会「至藝の美」公演です。1日で昼夜2回公演の独演会で昼公演が「執心鐘入」、夜公演は「女物狂」でした。組踊のほかにも昼夜各公演ごとに琉舞5演目も披露する、宮城能鳳先生の舞台にかける執念に圧倒された公演でした。

 

2014年 11月3日 第9回宮城能鳳独演会「至藝の美」。公演「執心鐘入」場所:国立劇場おきなわ ©︎ 撮影 大城洋平

 

2014年 11月3日 第9回宮城能鳳独演会「至藝の美」。公演「執心鐘入」場所:国立劇場おきなわ ©︎ 撮影 大城洋平

 

2014年 11月3日 第9回宮城能鳳独演会「至藝の美」。公演「女物狂」場所:国立劇場おきなわ ©︎ 撮影 大城洋平

 

Q|保存と記録に携わる思い

弘明|フィルムで撮影した公演は保存と管理の方法が大切で、カビが生えないように空調や除湿に細心の注意を払います。またいつ撮ったのかわからない状態で保存をしていたら、資料としての価値が失われ、探すのも大変。私はフィルムの場合は年代ごとに分けて、ジャンルごとに整理しています。いまはデジタルで撮影するから記録保存も楽になりました。退職後は時間に余裕ができたのでなるべく多くの組踊の公演の撮影を心がけています。二度と同じ舞台はないのだから、ベストな状態のものを記録保存しておくことはとても大切です。

洋平|予算的に一番最初に削られるのは写真なので、撮影をし続けて積み重ねながら写真はナシということにならないように努力していこうと思います。

Q|組踊のこれから

洋平:娯楽の多様化で、組踊以前に、いま演劇も音楽ライブも映画も行動をして見に行くという感覚が薄くなってきている。その場所に出かけてライブ感を味わう、チケットを買って行動するという人が少ないのかなと感じています。小さいうちから生の舞台や音楽に慣れ親しめる環境づくりや、どうしても観劇したくなるようなイメージ作り、宣伝や広告づくりももっと必要かなと思います。

弘明:若い実演家の方たちがいつの間にか中堅になって、1970年代の演者が少なかった時代からみるとどんどん演者も増えてきて芸もすばらしく、とても楽しみな時期になっています。これからも古典はいつもいい芸を見せてほしいし、新作組踊も増えてきているので新作を見せる工夫をして、どんどんいい作品を上演することで、さらに新たな客層へアプローチできるのではないでしょうか。

 


インタビュー:たまき まさみ
1978年、那覇生まれ、那覇在住。フリーペーパー「夕焼けアパート」主宰。ライター。
幼い頃からもの書きになりたかったものの、どうすればなれるのかわからず路頭に迷って25年。出版社で仕事が見つからず、自分の媒体を作ることを思いつく。現在は「夕焼けアパート」の活動をきっかけに、新聞を中心に沖縄の文化や芸能、景色、ときどき食レポを書いています。国立劇場おきなわ企画制作課に嘱託員として勤務。琉球芸能を舞台裏で勉強しています。


 

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