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組踊上演300周年記念事業-特別企画-

Interview|匠たちの舞台裏 vol.1「山城譲二 × 小波津朋子」

300年に渡って受け継がれてきた組踊。「インタビュー|匠たちの舞台裏」は、舞台を支える裏方にスポットをあて、シリーズで組踊の魅力について語っていただきます。
本シリーズ初回は、国立劇場おきなわで舞台裏から組踊を支えている舞台監督の山城譲二さんと舞台美術を手がける小波津朋子さんにお話を伺いました。

(インタビュー:たまき まさみ)

Q.おふたりがこの世界に入ったきっかけ

山城譲二(以下、山城)|舞台の世界はまったくわからなかったけど、高校時代からこういう裏方の世界にいきたいというのがありました。東京の大学に進学したけどそのうち学校もやめて、紹介で大道具の現場の仕事に入った。TBS系列の番組やドリフターズの仕事とか8年ぐらいやって、舞台の基礎は覚えた。一番大きかったのは沖縄に帰ってきて20代終わり頃、宮城能鳳先生や玉城秀子先生、比嘉聰先生たちと東南アジア公演で1カ月近く一緒に回ったこと。沖縄の琉舞や公演に携わるようになったのはそれがきっかけ。だから人間何がきっかけかわからないです。10年ぐらい前に亡くなったのですが、宮城信治さんという方がいて。信治さんが沖縄で初めての舞台監督と言われている。沖縄の舞台監督というものを若い連中たちは山城譲二が先駆者と言うけれど、「信治さんが刈ってきた道を、おまえは弁当を持って後ろを歩いているだけだ」と先輩たちには言われてきた。それぐらい、沖縄の舞台スタッフというものをつくった人だったと思う。その1カ月公演も、信治さんが一緒に行こうと声をかけてくれて。舞台監督の仕事は信治さんを見て覚えた部分と、幸喜良秀先生のもと沖縄芝居実験劇場で舞台監督として育てられたのも大きいですね。国立劇場おきなわでは舞台監督を務めて13年目になります。

小波津朋子(以下、小波津)|中学の時から好きなことをやって生きていきたいと思っていて。昔から絵が好きだったから高校は開邦の美術コースに進んで、大学受験を考えた時期に、たまたまテレビで宝塚を見て舞台のおもしろさにハマった。自分の好きな空間を二次元ではなくて三次元で表現する舞台はおもしろいと思って。舞台なら絵も描くし、いろいろな素材を使って表現できるなーって、自分のやりたいのはこれだと一気につながって大阪芸大へ進学した。だけど大学を卒業したからといって食べていけるわけでもなく、小道具を作るお仕事や、衣装の先生からお仕事をいただいたり、アルバイトをしながら生活していました。それから大道具製作会社で勤めるようになり、テレビやライブのセット、芝居の大道具を製作していました。沖縄に戻ってきて、国立劇場おきなわで舞台スタッフを経験し、そののち美術の担当になり、劇場で働いて10年経ちました。

国立劇場おきなわで舞台監督を務める山城譲二さん(右)と舞台美術を手がける小波津朋子さん 撮影:たまきまさみ

 

Q.組踊を初めて見たときのこと

小波津|かなりおもしろかった。私が初めて見たのは「雪払い」なんですよ。組踊鑑賞教室だったかな。舞台スタッフになって1週間ぐらいのころに台本を渡されて読み込んでいて、その時点でおもしろいと思っていた。実際舞台を見るとせりふもゆったりだし雪は降らすし、不思議な世界だなと思いつつも、最後に子どもたちが継母をかばう場面では感情移入してしまい、泣きそうになった。組踊はそれから一回もおもしろくないと思ったことはないです。

山城|「雪払い」なんか、もともと創作の作品だからあれだけ雪が降ったりするけれど。感情移入で雪を降らしているから、激しく降る時と、ここはチラチラだなっていうときとがある。雪を降らす担当に、「いっぱい降るのをレベル1にして1、2、3でやるから」と伝えておいて、じゃあこの場面はレベル3だって指示したり。舞台をつくっているというよりは、情緒の世界っていいよねという思いを踏まえて立方も裏方もこの仕事をやっていると思う。

組踊「雪払い」©️(公財)国立劇場おきなわ運営財団

 

小波津|以前は研修生発表会を小劇場でやっていたんですよね。まだ舞台スタッフだった当時、上手袖から見ていて鐘から鬼女が出てくる瞬間、「『執心鐘入』ってこんなものなんだ、かっこいい」って感動した。「雪払い」と「執心鐘入」は初めて見た組踊で本当に衝撃的だったから、とても印象に残っている。あとは新作組踊「初桜」も好きだし。組踊のせりふにひとつひとつ感動することがあって。現在と重なり勉強になるところもあると思うんです。

組踊「執心鐘入」©️(公財)国立劇場おきなわ運営財団

 

Q.舞台裏だから見える景色

小波津|昔の人はどうやって舞台をつくったのだろうと思いを馳せて考えて。舞台の寸法は能とかを見て参考にしたのかなとか。「銘苅子」の天女が天に昇るシーンもそうだし、「孝行の巻」の観音様の仕掛けや「執心鐘入」の演出をどうやって考えたのだろうとか。御冠船舞台を創ろうとした裏方の人たちのことにすごい興味があります。実際にその舞台を再現して見てみたいなっていうものもあるし。解明されていないことや、分からないことを想像するだけでもワクワクします。

山城|でもね、舞台袖にいると僕らは作品を見ることはできない。次の動きを追っているので、ひとつの作品としては見れないんだよね。お客さんみたいに感情移入もできないし。

小波津|舞台に見入っていると、仕事ができないですね。

山城|そういう部分のクールさはあるよね。とある組踊の上演中に、小道具を忘れて舞台に出てしまった役者がいて。どうしようかと動きを考えたときに、後見を出す案を練った。いかにもそれらしくやって事なきを得たのだけど、その判断を舞台袖でやらないといけない。舞台というのは、こういうことがあって当たり前だと思わないといけないし、そのときどう対応するのか、常に考えてひとつひとつの動きを見ている。

Q.舞台をつくるうえで大事なこと

山城|舞台には定式(きまりごと)というものがある。その定式をどう踏まえてやるかっていうのも仕事のひとつです。その世界を管理じゃないけれど、きちんと指示する人がいないとぐちゃぐちゃになってしまうので、お能や歌舞伎じゃないけれど、組踊の中でもひとつの定式美、作られた世界の感覚を守っていくということもあるのです。

小波津|当時の御冠船舞台の資料を基に現代の組踊の舞台をどうつくるか、かたちが決まりつつあるなかで、見えていない部分に気づくこともあります。思いこみをなくし、立方、地謡の皆さんが気持ちよく舞台に立てるよう意見交換をしながら、舞台づくりに取り組みたいですね。

国立劇場おきなわ大劇場内にて 撮影:たまきまさみ

 

Q.組踊のこれから

山城|僕が今は打っているけれど、拍子木に関して思うことがあって。あれは本来、演者の人たちがやることで、歌舞伎の世界では舞台監督が拍子木を打つことがない。拍子木がどういう形で打たれるべきなのか、組踊のなかで確固たるものを決めてもらったらどうだろう。みんな簡単に考えているけれど、この公演を始める頭だからすごい重要だと思う。

小波津|300年を機に組踊では、こうしようということで統一してもいいですよね。

山城|お能とか狂言は決まった部分があるので、組踊ももっとシビアにしていいのかなって思う。

小波津|この300年という節目に立ち会えること自体とても貴重ですよね。次の350年って私たちは恐らくいないし。これを機に上演回数も増えてほしいし、県内外のもっと多くの方々が組踊を鑑賞するために、劇場へ足を運んでいただけるようになればいいなと思います。組踊の世界観や立方、地謡のみなさんがつくりあげる舞台に魅了されるはずです。

山城|組踊って結局すごい楽しませようという、もっとエンターテインメントだったと思う。伝統を継承しながらも、お客さんを楽しませるためにはどうしたらいいのか、考えることも必要じゃないか。詫びさびの世界が分かる人、なんだこれっていう人もいると思うけれど、それでも絶対に静の世界が拒否されるってことはないと思う。それを踏まえて、エンターテインメントもどこかであったらなと。組踊の途中でマルムン(間の者)が出てくるのも、それだけサービスしているってことだから。昔の人もわかっていたんだよね、静の世界だけではおもしろくないなっていうのが。組踊にはその辺の強弱がこれから要求されていくのではないかなと思います。現代の舞台機構で、伝統的な組踊を上演するというセッションのなか、安全にひとつの公演を終えるよう目を配ることも舞台監督の役目と捉え、務めています。


インタビュー:たまき まさみ
1978年、那覇生まれ、那覇在住。フリーペーパー「夕焼けアパート」主宰。ライター。
幼い頃からもの書きになりたかったものの、どうすればなれるのかわからず路頭に迷って25年。出版社で仕事が見つからず、自分の媒体を作ることを思いつく。現在は「夕焼けアパート」の活動をきっかけに、新聞を中心に沖縄の文化や芸能、景色、ときどき食レポを書いています。国立劇場おきなわ企画制作課に嘱託員として勤務。琉球芸能を舞台裏で勉強しています。

 

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